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walking working woman

20代半ば女の、日常のちょっといいこと紹介

村上春樹から読む、諦めの虚しさ

読書

村上春樹さんの、〝国境の南、太陽の西〟を読みました。

 

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国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

国境の南、太陽の西 (講談社文庫)

 

 

 今の僕という存在に何かの意味を見いだそうとするなら、僕は力の及ぶかぎりその作業を続けていかなくてはならないだろうーたぶん。

「ジャズを流す上品なバー」を経営する、絵に描いたように幸せな僕の前にかつて好きだった女性が現れてー。 

あらすじより引用

 

 

若い頃に感じた強烈な気持ちの動きって、徐々になくなってきませんか?

 

例えばアニメ鋼の錬金術士のオープニングの歌詞にとても励まされ、何回も何十回も聴くほど好きになったり

明日テストがあるのにハリーポッターの賢者の石の続きが気になりすぎて徹夜で読破してしまったり

その時の私にとっては、その曲や本の吸引力は凄まじいものでした。何度聴いても読んでも飽きず、途中で終わらせることなどできないものでした。

 

国境の南、太陽の西〟の主人公である〝僕〟は、小学校でとてつもなく激しい吸引力を持つ女の子、島本さんと出逢いますが、卒業と同時に離れ離れになります。

 

結婚し、子供が二人でき保育園に通うようになった36歳の冬、経営しているジャズバーに島本さんが突然現れます。

〝僕〟はずっと島本さんを忘れられずにいました。

妻は聡明で気立てがよく、娘二人は素直に育ち、バーの経営は順調で何一つ今の生活に不満はなく、むしろ間違いなく幸せです。それなのに、島本さんに再び会ってしまい激しい吸引力を感じます。

島本さんといる時間が何より大切で、

会えなければ世界は色を失い何の意味も持たなくなっていきます。

 

 

大人になり、普通の幸せを手にすることは、その時自分が本当に求めていることから目を逸らさなければならないことになるのかもしれません。

何度も何度も目を逸らし、諦めるうちに、自分が求めているものが何かすら分からなくなり、家庭に職場に適応し収まっていくのかもしれません。

家庭も仕事も何もかも捨てられる程に激しく愛する人に巡り合った〝僕〟は幸せなのでしょうか。それとも不幸と言うべきなのでしょうか。

 

 

普段あえて考えないようにし、心の中で蓋をしている存在を、逃げ場のない個室で無理やりじっくりと教えられるような本だと思いました。

 最後には大きな虚しさを感じずにはいられませんでした。

 

 

けれど、村上春樹さんの文章の心地よい吸引力に浸れる幸せが確かにありました。